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「劉備と諸葛亮 カネ勘定の『三国志』」

 「素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る」としばしば言われる。本書は古代中国の経済や貨幣の研究者が「三国志」の世界を財源や経済政策から語る本だ。

 まず曹操は、黄巾一派の残党を吸収し、屯田で働かせて財政基盤とした。「三国志」には詳しくないけど、このあたりは「蒼天航路」でも大きく取り上げられてたな。

 一方、劉備は徐州牧時代には糜竺をパトロンにして経済的にまず安定。荊州牧についたときには、劉備に信用がなかったので諸葛亮の名前で金を集めた。諸葛亮はここで、無戸籍民を集めて戸籍に登録し、税収を増やした。

 諸葛亮は劉備のもとについたとき、天下三分の計ではなく「隆中対」という策を授けた。内容は、荊州と益州(蜀)は経済的利益があるからいただけ、南征しろ、しかる後に長安方面に向かえ、というものだったとか。

 というわけで劉備が入蜀したとき、成都城の蔵の財宝を接収し、ほぼ空にしてしまった。そこで貨幣を改鋳して質を落として国庫を充たした。

 南征では、諸葛亮は土地の人々を「生かさず殺さず」で搾取した。その資金を北伐にあてた。つまり、南征で得た資金は、益州にあまり還元されず、北伐の軍資金となった。そのほか、屯田や略奪で資金や物資を得たとか。なお、五丈原の最後の北伐は、前回から3年のブランクがあり、蜀漢の食料事情が悪化していたのが原因だろうと。

 このような諸葛亮の軍事最優先型経済を、著者は、自国よりはるかに強大な曹魏と対決するために無理をしていたのだろうと分析している。

 ちなみにそのほか、董卓支配下の長安は実は好景気だったとか。また袁術は、貿易地を手に入れたことにより、ほかの群雄が飢饉に苦しむ中で多くの冨と食料を保有したし、飢饉に陥ったときにも対策をとっていたとか。

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